研究ノート

塩崎太伸

第3の透明性、あるいはニュー・エイジ・オープンネス サマリー

 

 

和レトロモダンと透明性

今となってはとりたてて目新しい言い方ではないけれど、まずは今を見渡した時の整理を研究のバックグラウンドとして書留めておきます。

きっかけは2000年を少し過ぎて、私が博士課程に進学した頃だと思うけれど、商業施設に並ぶものが少しずつ変わりだしたことだった。それまで大体はヨーロピアンポップなものたちが店のディスプレイに並んでいたのが、たとえばD&Dのように、少しずつ「日本」の「古いもの」の美しさを現代的に「編集し」て「並べ」だした。

そのあたりの事柄から、最近のいわゆる、リノベーションの時代ですよね、とか、シェアの時代ですよねっていうことに繋がってくる。

 

素材感あるリノベーション

皆が素材感あるリノベーションとか倉庫っぽいだだっ広い部屋を普通に受け入れ始めたのも、単に日本の古いものの美しさと、その倉庫っぽさの廃墟感が似ていたからではなくて、もうちょっと根っこの部分で繋がっている。

 それはすべて、透明性というキーワードを持ち出してみるといくつかのフレーズが繋がる。大量のフレーズを並べてそのうちに類似を見つけていく作業をフレージング(PHRASING)と呼んで、イメージング(IMAGING)というやはり大量の画像を収集する作業と合わせて、設計の際によく手法として行うのだけれど、透明性というキーワードもそうした作業の中で浮上してきた。

けれども、ひとつの見方が決定的な意味を持つというのは忌み嫌うべきものだと思うので、あくまでひとつの整理として描いてみる。まずはサマリーとして。

  

第1の透明性 リテラルとフェノメナル

 近代主義が単純でなかったことを明快なひとつのキーワードのもとに見透かした出来事のひとつに、コーリン・ロウの「透明性」についての論文があった。グロピウスの建築とル・コルビュジエの建築とに、実の透明性(リテラルな透明性)と虚の透明性(フェノメナルな透明性)とを見て、建築の歴史が、そして近代主義が模索していた事柄をきれいに整理してみせた。実の透明性はガラスや水の視覚的に透過して見通せるとてもシンプルな文字通り眼に見える透明性である。建築は石や土を積み上げた内部の、暗くじめじめとしたシェルターから近代科学の勝ち取った技術による鉄とガラスの軽やかな透明性を手に入れ、17世紀18世紀の間、机上の論理として夢見られたどこまでも続く無限の空間を少しずつ自分たちの物として現実に建築化していった。しかしそれだけでは彼らの解放感は満足できなかった。そのことに薄々と気付いていながらもはっきりとした言葉がないままに歴史は流れていた。まさにその流れていた時間と空間のなかにこそキーワードフレーズはあった。ギーディオンが時空間というコンセプトに行き着いたのとも対比的ながら共振していた。本来別の場所にあるものが重なっていて視覚的に共有されているさま、そこは虚の空間としての透明性があった。リテラルからフェノメナルという透明性の議論は並列ではなくひとつの筋だと捉えた方がこれからの議論がしやすい。いまこの、リテラルな透明性からフェノメナルな透明性への変化を原初的透明から第1の透明性への飛躍とまずは呼ぶことにしよう。

二種類の透明性の提案をまとめて第1の透明性と呼ぶことには混乱が生じてしまうかもしれないが、この後これから書く予定の透明性との関連を分かりやすくするためにロウが言ったことあたりを第1とぼんやり呼んでおく。

戦後の建築が参照し模索したオープンネスは、この2つの透明性の融合である。

 

 第2の透明性 ホワイトキューブブラックボックスからスケルトンへ

ここからはロウ以後についてとりいそぎ、日本の状況メインで駆け足になるが眺めてみる。

きらびやかな都市のプロジェクトを並べて、実際の都市を毛嫌いして恐れ、都市から閉じて内向的な世界をつくりだした60年代から70年代にかけて。その後建築は一斉に開放的に透明にオープンネスを目指し、それは20世紀の末におおよそ絶頂期を迎えた。

私たちはその空間形式の透明性やアクティビティーと呼ばれるもののオープンネスに熱狂した。だけれども結局のところそれは白と透明の箱で、モダニズムのガラスボックスが、少しだけあか抜けたところで留まっていたのではなかったか。モダニズムのホワイトキューブも20世紀末のホワイトキューブも、その壁の中は架構も素材も設備もどうなっているのか分からず、ブラックボックスだった。

だから私たちは壁仕上げを取り払い、架構をあらわし、スケルトンをつくり出そうとした。多分それが21世紀のスタートだった。ここはかなりいろいろと懐の深い事例が大量にあるが、まずは藤本さんのフレーム建築や石上さんのディテールを思い浮かべて頂ければいいだろうか。吉村英孝さんの大学校舎も分かりやすい。それらを見て、一段階開けたオープンネスを獲得した気になったと思う。突き抜ける解放感。透明から露出へ。建築は暴かれた。でも、それでも足りなかった。何かが物足りない。仕上材が取れて設備があらわされても。

ここは少し段階が長いのでふたつの段階に分けた方が整理しやすい場合はロウの時代に習って対比的にネーミングしてもいいかもしれない。言うなればダイアグラムの透明性とスケルトンの透明性だろうか。

 

第3の透明性へ

そんな、上述のような渇望感のときに東日本大震災は起こる。震災だけがメルクマークであるかのように建築を語ってはいけないと思うが、幾つかのきっかけのうちのひとつであることは間違いが無い。そのとき建築が、自分たちが、ほとんど繋がっていなかったことを、まざまざと見せつけられたのだと思う。

その少し前から始まっていた「確かなものの歴史、あるいは繋がり」への欲望がこの期に膨れ上がる。

今私たちは全てのつながりのトレーサビリティーを追い求めている。それは建築において、更にもう一段階残されていたクローズドな部分だ。建築の背後に隠されていた部分。正体が曖昧なままに暗躍していた部分。目に見えている材料がどこで誰がどのようにつくっているかが分かっていること。架構の仕組みが施主ですら説明できる形でそのままに表現されること。私たちは仕組みや作成過程の分からないままハイテクノロジーやカタログ商品に囲まれて生活してきた。医療行為の根拠は医者に任せ、原発の安全性を知らず電気を使い、農家を知らず食品を食べ、仕組みの分からない構造の家に住んできた。そうした根幹への反省が生じている。マテリアルフローや、職人関係図、ラトゥールのアクターネットワーク、などはこの側面を分かりやすく特化したプレゼン手法だし、設計プロセスをオープンにしていく方法論も建築家の設計を明快に整理するという側面でクローズドな部分をオープンにし広く優しい共有言語をつくり出している。他にも、やはり幾つか事例が見られてきているように、すみからすみまで施主自らですら説明できてしまうような建築と構造のストラテジーというものも、同様に閉ざされていた不透明な部分をこじ開け出自と繋がりを探る建築の方針だろう。

次のオープンネスはきっとそういう突き進んだ開放性と形との関係になるだろうと思う。そこではきっと歴史的な繋がりや個人的な物語の紐解きも関わってくる。

 

 

 2015.8 少し文章を削除しました。