研究ノート

塩崎太伸

スケッチというイメージング ──《蓼科山地の初等幾何》

初出:JIA MAGAZINE, no.317, 2015.7

 

 

 よく言われることであると思うけれど、スケッチというのは、建築家が頭の中のイメージを吐き出す相手であると同時に、そこから何かしらのイメージを手に入れるためのものでもある。スケッチを描く運動と、その結果として紙の上に少しずつ乗せられる筆記具材の足跡とから、自身で未だ気付けぬ線や形や空間を発見する作業は、スケッチが自らの手による分身として従属的でありながらどこか自我をもった他者的なものとしても存在しているという主客転倒の二重性を常に感じる。はたして、思考より先にものとしてのスケッチがあるのではなかろうかという感覚がそこにある。

 篠原のスケッチの筆触をみると、そのことを強く感じる。何度も線を重ねながら、ふくれあがった線の束から「本来の自分の」線を教わる作業と言えるかもしれない。僅かの無駄も許さなかった抽象的なインキング発表図面と、執拗に描き重ねられたスケッチとの対比から、そうした対話を想像する。

 表紙のスケッチは篠原の未完の遺作《蓼科山地の初等幾何》のためのスケッチである。私が大学院に在学していた際に設計の担当となる機会に恵まれ、篠原と打合せを重ねながら今期の雪が溶けたら着工というところまでいきながら篠原の死去により未完となった。《蓼科》のためのスケッチは実に800枚ほどが残されている。設計を手伝い始めた2003〜2004年頃にはほぼ平面形状が確定していたので、このスケッチはそれ以前のものである。すでに作品集などに発表しているいくつかの他の作品のためのスケッチに比べると、このスケッチは先に述べたような「ふくれあがった線の束」の厚みが少ない類いのものである。今回、選定をするに当たり、紙に穴が開くのではないかと思うほどの大量の本数の線でただ「1本の線」を繰り返し描き探す、篠原特有のスケッチを選ぼうと当初は思っていた。しかし今回は、考えるよりも先に次から次へと紙に脳裏に浮かんだ幾何を描き落とすような、もうひとつのタイプのスケッチを選んだ。実のところ私はこちらのスケッチを見た時に少し安心したのだった。自分の選んだ形に溢れる自信をもち、塗り重ねた線から到達点を掘り起こそうとする前者の篠原に対し、そこに至る前にどの形をスケッチに託すべきかを決めあぐねている篠原がそこにいたような気がする。そのスケッチにはさまざまの方向から気の向くままに描き殴る篠原がいる。スケッチを描いている場所もさまざまなのではなかろうか。枕元にも色鉛筆があったと聞いたことがあるから、ひょっとしたら横になって描いた部分もあるかもしれない。こうした大量のイメージの差異と類似から篠原の形が拾いだされている。事実、《蓼科》の800枚のスケッチに現れる形の種類はおびただしい。ちなみに《蓼科》以外の全作品が載せられた作品集である『篠原一男』(TOTO出版1996)の表紙は、この作品の初期スケッチである。

 

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